
す。
アイ・ハヌム即ち「花嫁の月」という名前の遺跡は、オクサス川と、コクチャ川との合流点にあるわけです。それでフランス隊が調査いたしました。ここに大きな丘がありまして、そのてっぺんが、これが城塞であります。シアターがあり、兵器庫があり、神殿があります。この北に門があって、ここに城壁の壁があります。あとはオクサス川とコクチャ川がございますから、これはもう天然の要害ということになるわけです。それで北門から真っすぐメインロードが南へ走って、その真ん中辺のところに門があって、これからが王宮、そしてここに競技場、先ほど申しましたキネアスの霊廟はここにございます。それからこの南のほうはいろいろな高級住宅地、こういうところがフランス隊の調査でみつかっています。
これが王宮と言うか、行政管区に当たるところでありまして、東方の高い丘の上からちょうど発掘した跡を見たところです。向うに流れておりますのがオクサス川であります。さらに向こうの山はウズベキスタン側の、岸に当たるところであります。
発掘いたしました王宮の真ん中に広場がありまして、その周りに列柱廊が並んでいますけれども、それが116本ございますが、その一つひとつがいわゆるギリシア風の、コリント式のアカンサスによって飾られたキャピタルを持った柱が並んでいたんです。
ちょうどフランス隊が発掘している現場を見ました。これは1967、8年の頃だったと思います。これは神殿の一つを掘っているようです。
王宮の中にはこういうモザイクの床がありました。素材は石です。黒い石と白い石、それを巧みに使いまして、いわゆるギリシアやローマにあるモザイクと同じような、文様をあらわしています。これは浴場の床面ですが、こういうすばらしいものが実際に今掘っておりますあの遺跡から出てくるわけです。
そして出土品にはこういったギリシア風の、これは棍棒を持っておりますから若きヘラクレスとでも呼べるようなブロンズの彫刻です。
大理石でつくった若き青年の像。これなどは明らかにギリシアでつくったものを持ってきたのではないかと思われます。
これは哲学者の像と呼ばれておりますけれども、これも大理石でございます。
これは屋根の上の瓦の、軒先の飾りでございます。こういうギリシア風のものが建築意匠にも出てきています。
これは、先ほどのコリント式のキャピタルの未完成品です。こういうものはギリシアでつくって持ってきたのかというと、そうではなくて、ギリシアの工人がやってきて現地で彫刻したということがわかります。しかもこの白っぽい石は、ギリシアの大理石ではなくて、この辺で取れる石灰岩です。だから材質も違うということで、ギリシア的であるけれども、実際の材料は現地の材料を使っている。他所の文化が入ってきて、そこの土着の民族とのミックスによって独特の文化ができてくるというのはこういうものなのです。
これは、ライオンが引っ張っている馬車にキュベレという月の女神が乗っている。こういう神話的なデザインを持った銀の板です。こういうものが発見されております。そうすると、これはただ単にギリシアだけではなくて、何か西アジアのほうの影響も入ってきていることがわかります。
それから今度は、ティリヤ・テペのお墓から出ましたものですが、6つお墓から出ました。
墓そのものはそんなに大きくないのです。しかも遺体は木製のお棺の中に入っておりました。端の方に鉄の金具があります。これは木製の棺を留めておった鎹なのです。そういうものがあって、そして遺体がここにあって、これはもういっぱい、いっぱいで、だからそんなに大きなお墓でも何でもないのです。普通の竪穴を掘って、そこにお棺を置いています。この中に入っている人は、これが頭です、目玉がありまして、この白っぽいものが全部これは金なのです。ここには二の腕があって腕輪がはまっております。鏡もあります。鉢のようなものがあります。
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